第4回 “不老不死・長寿支援ビジネス”が生まれる
いつまでも元気で長寿であり続けたいという願望は、古代から多くの人々が抱き続けているものだ。始皇帝の命を受け、東方の桃源郷である日本に、不老不死の仙薬を求めてやってきた「徐福伝説」を始め、「ギルガメシュ叙事詩」「リグ・ヴェーダ」など、不老不死をテーマとして取り上げた神話伝承は枚挙にいとまがない。これらの物語が創作された時代は、長寿、不老不死はあくまで「願望」のレベルにとどまっており、具体的な方策を持ち合わせていたわけではない。
しかし近年、ゲノム解析やデータサイエンス分野の進化に伴い、不老や長寿も実現可能性が次第に濃厚になりつつあり、長寿、不老不死も徐々に「ビジネス」の範疇に入りつつある。
実際に米国では、老化は治療可能な疾病であるという信念に基づき、ゲノム、遺伝子学、幹細胞、ビッグデータ、ナノテクノロジーなどを駆使し、老化を食い止めようとする研究が多額の投資を伴って進みつつある。もしかすると、数十年後には、レイ・カーツワイルが語る”シンギュラリティ”が長寿、不老不死の分野でもやってくるかもしれない。
さて、上記のような生物学的な観点での不老不死への挑戦とは別に、文化的な視点から不老不死を目指すという動きも生まれつつある。
かつて、カール・マルクスは、「史的唯物論」に基づき、物理的な死とは別に、人々の記憶や遺産を通じて生き続けるという、もうひとつの死生観を提唱した。時の権力者たちが、彫像や記念碑の建設、著作物の制作、あるいは都市や建築物に自分の名前を付ける、などによって死後に影響力を残そうとすることは過去にも良く見られたが、それは死後にも影響力を持ちたいという潜在的欲望の発露とも言える。
こうした欲望の可能性として、AIを活用し生き続けるという試みが考えられる。例えば、かつて他界した有名歌手が、AIにより復活し新曲を歌うことがあった。この時は、「まるで生き返ったよう」という声が挙がる一方で、倫理的にいかがなものかという声も寄せられた。しかし、本人が生前に肯定見解を表明し、積極的に自分自身の行動データや活動を機械学習させ、自己再生AIを生前に開発するようになることも将来的には考えられるだろう。
また、こうした自己再生型AIの実現プロセスで、暫定的な実現可能性として考えられるのは、グリーフケアとしてのAIの可能性である。愛する人が亡くなった後、その人の画像やSNSデータをAIが学習し、会話を行うことができるチャットボット・サービスなどはすでに実現している。AIによる学習能力の向上により、こうした観念的不死を実現するサービスも今後広がっていくことだろう。
※次回より慶應義塾大学大学院・前野隆司教授の記事をお届けいたします。