山梨県生まれ、武蔵野美大卒。広告制作会社等を経てデザイナーとして廣告社㈱入社。CR・マーケ・メディア・営業・管理部門を経験後、代表取締役社長就任(2016年退任)。著書に『“広告の著作権”実用ハンドブック』(太田出版)、『クリエイターのためのトラブル回避ガイド』(パイ・インターナショナル)、『広告実務と著作権(電子書籍)』(太田出版)、共著に『Q&Aで学ぶ“写真著作権”』(太田出版)などがある。JAAA REPORTS「広告人のための法律知識」を2020年1月号~2026年3月号まで執筆。日本広告学会会員。
「少し強めに言っただけです」「事実は間違っていません」広告の現場では、こうした言葉がしばしば聞かれます。しかし今、この感覚は通用しにくくなっています。
【第2回】ちょっと盛っただけなのに
―景品表示法を“コンプライアンス”で考える
「少し強めに言っただけです」「事実は間違っていません」
広告の現場では、こうした言葉がしばしば聞かれます。
しかし今、この感覚は通用しにくくなっています。
近年、景品表示法の運用において問題となるのは、
明確な虚偽よりも「誤認」です。
つまり、嘘かどうかではなく、
「消費者にどう受け取られるか」が大きく問われているのです。
■ 「事実かどうか」だけでは十分ではない
たとえば、「満足度90%」「売上No.1」「業界最高水準」といった表現は、いずれも実際のデータに基づいていることが多いものです。しかし、その調査方法や比較条件、対象範囲によって、意味は大きく変わります。
限定された条件下で得られた結果を、あたかも一般的な事実であるかのように示せば、消費者は誤認します。数値自体は正しくても全体として誤認を生むのであれば、それは問題とされるのです。
ここで重要なのは、消費者が広告をどう読んでいるかです。
多くの人は、注釈を細かく読みません。条件を比較しません。広告全体の「雰囲気」や「印象」で判断しています。たとえば、数値自体は間違っていない。条件も小さく書いてある。法律的に即アウトとも言えない。それでも、「誤解させる」「期待させすぎる」と受け取られれば、世論は厳しく反応します。
つまり、「事実かどうか」という基準だけでは不十分ということです。
景品表示法が問題にするのは、「一般消費者がどのように理解するか」です。送り手の意図や事情ではなく、受け手の認識が基準になります。
■ なぜ「ちょっと盛る」発想が生まれるのか
「ちょっと盛ってみた。広告なのだから誇張はあって当たり前」という感覚があります。より目立つ表現、より強い訴求が求められる中で、「少しでも良く見せたい」という意識が働きます。
このこと自体はある意味、健全なのですが、「許される誇張」が過ぎると「許されない誤認」に陥ってしまう。
この境界線は難しいところです。しかし、とても重要です。
景品表示法では、実際のもの、または競合他社のものより“著しく”優良・有利である場合を「不当表示」としています。
ここでいう“著しく”とは社会的許容度を超える誇張・誇大をいい、例えば一般消費者がその広告表示と実際のものが異なることをあらかじめ知っていたならば、その取引に応じることはなかったであろうというレベルの誇張・誇大とされています。
さらに、前例意識も働くのかもしれません。「これまで問題にならなかった」「これくらいは他社もやっている」という経験が、判断を甘くします。
結果として、「ちょっと盛っただけ」のつもりが、消費者にとっては誤認となってしまう場合があるのです。
■ コンプライアンスとしてどう考えるか
では、こうしたリスクに対して、コンプライアンス的にはどのように向き合うべきでしょうか。
日々の実務で特に心がけたいのは「違法かどうか」で線を引くのではなく、「誤認されないかどうか」で考えることです。
この表現は、消費者にどう見えるか。
前提条件は十分に伝わっているか。
都合のよい切り取りになっていないか。
こうした問いを、自らに投げかける必要があります。
コンプライアンスとは、ルールを守ることにとどまりません。リスクを事前に想像し、問題が起きないように設計することです。その意味で、景品表示法は単なる規制ではなく、「伝え方の質」を問う法律と言えるでしょう。
そして最終的に目指すべきは、「説明できる広告」です。
なぜこの表現なのか。なぜこの数字なのか。どういう前提で成り立っているのか。これらを社内外に説明できる状態にしておくことが、最大のリスク対策になります。
「ちょっと盛っただけ」という感覚は、説明責任の観点から見れば、最も危うい発想かもしれません。
「事実かどうか」から「どう伝わるか」へ。この意識の転換こそが大切です。







