第3回 自分は許されるという過信は禁物―セクハラ防止の心得
今回のテーマはセクハラです。セクハラ事案で行為者とされる方に聞き取りを行うと、「そんなつもりはなかった」「ほかの社員よりもむしろ仲が良いと思っていたので、寝耳に水だ」という言い分を聞くことが多いのですが、まさにここが今回のポイントです。
セクハラは「相手の意に反する性的な言動により…」と定義づけされるように、行為者の意図ではなく、受け手がどう思うかが大事と聞いたことはありませんか?この受け手の気持ちを把握しているとの誤信からくるセクハラがとても多いのです。
セミナーで、「スタイルいいね」という言葉をセクハラと感じるか、という質問をすると、一番多い回答は、「発言する人による」というものです。同じ発言をしても、セクハラと言われる人とそうでない人がいるところに納得がいかないという方も多いでしょう。ここが、業務の適正な範囲内の指導に当たるか否かという客観指標があるパワハラとセクハラの大きな違いです。セクハラは、受け手がどう感じるかが大事なポイントなのです。
しかし、この「人による」という回答は、「仲が良ければそのくらいの発言は許せる」と続くのですが、「この人はOK」というお墨付きも、永遠に続くとは限らないのが、セクハラの怖いところです。仲が良いからとセクハラ発言を繰り返し、行動がエスカレートしていけば、「OK枠」から外れることはあります。そもそも自分が仲が良いと思っているのと同じだけ相手が仲が良いと思っている保証もありません。自分だけは許されるという過信は禁物なのです。
令和2年度の厚生労働省の調査では、セクハラ被害者の約4割が、被害を訴えることはしなかったと回答しています。表面上は笑って応対していても、内心は傷ついている方はたくさんいるのです。
「相手の意を読み取ることは不可能」であり、セクハラ的言動が許される人も「常に許されるとは限らず」、そこに「自分の意図は関係なく」、そもそもセクハラ的言動が「職場に不要なもの」である、とすれば、自分の身を守るうえでも、【客観的に性的な言動にあたりうることは全て慎む】ことが、最善のセクハラ対策であることがお分かりいただけるでしょうか。
セクハラの被害者は女性が圧倒的に多いところ、セクハラで訴えられる可能性が怖いから、女性の部下は持ちたくないという方がいらっしゃいます。しかし、これはマネジメントの放棄であって、女性の活躍を阻む行為に繋がりかねません。ご自身のセクハラ的言動を慎むというアプローチで、皆が気持ちよく働ける職場の実現をはかって頂きたいです。