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広告業界や広告、コミュニケーションについてJAAA 会員社の若手はどう感じているのか?
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広告表現、入口から見るか?出口から見るか?広告表現、入口から見るか?出口から見るか?
広告表現、入口から見るか?出口から見るか?
川又 音

川又 音

TBWA HAKUHODO
TBWA HAKUHODO

Disruption Lab

過去のFresh EYEコンテンツは下記から読むことができます。
2023年4月からはこちら過去のFresh EYEへ

「広告クリエティブには、表現寄りの人と、構造寄りの人がいる」自分が広告に興味を持つきっかけをくれた恩師から、聞いたことがある。

広告表現、入口から見るか?出口から見るか?


「広告クリエティブには、表現寄りの人と、構造寄りの人がいる」
自分が広告の世界に入る前からお世話になっている恩師、尾上永晃さんから聞いたことがある。

 

簡単に説明すると…
「構造」は言葉でシェアできる、広さ。PRとかSNSでの話題作りと相性が良い。
「表現」は実物でしかイメージができない、深さ。感情のコントロールに影響する。

 

映画を観て、どんでん返しや展開に興奮したら構造寄り、表情や音楽に興奮したら表現寄り。
「表現と構造 TCC」で検索すると、尾上さんご本人のコラムも読める。

 

この話を聞いて、自分はかなり構造寄りだな、と思ったけど、
表現を鍛えよう!と通ったコピー講座の飲み会で、
同じ「構造寄り」のプランナー・丸山優河くんと話していたら…

 

「僕らって2人ともかなり構造寄りだけど、好きな事例も、出すアイデアの趣向も、全然違いますよね?」という話になった。

 

そこから何時間も語り合って出てきたのが、「始点派」と「終点派」という新概念。

企画やコピーを、→(矢印)のように時間軸で捉えたときに、
その入口にときめくか?出口にときめくか?だ。

 

 

「始点派」は、まず見てもらうための「アテンション」を大事にして、
人を振り向かせることが最優先の人たち。

OOHや新聞広告など、短い時間で本能のスイッチを押して、
思わず注目してしまう・身体で覚えてしまう、
キャッチーな言葉やアイデアで惹きつけるシューティングスター。

一方で「終点派」は、見終わった後に長く残る「読後感」を大事にして、
新しい発見や習慣を浸透させるのが最優先の人たち。

 

MOVIEやラジオCM、プロダクトなど、時間をかけて心に訴えかけて、
言葉やアイデアと接する前後で、
ブランドや世界の印象を変えるゲームチェンジャー。

 

丸山くんは前者で、ぼくは後者。
同じ構造派でも、はっきりと分かれる別軸の発見だった。

 

 

例えば、コピーで両者の具体例を挙げていくと…

 「始点派」の代表例は、言葉遊びだと思う。
「Yonda?」「バザールでござーる」「ヘーホンホヘホハイ」など、
一度聞いたら、思わず口ずさんじゃうリズムがある言葉たち。

あるいは、「ちょうどこの高さ。」のようなビジュアル発想の表現や、
「もしも東京の真ん中に、山があったら。」のように、
その先が気になる見出し的な表現も始点派だと思う。

 

 

一方の「終点派」コピーには、読後感や発見をつくる表現が多い。

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。」
は、静かにみんなの共感を集めて、OB訪問にくる学生にもファンが多い。

「1024や65536を切りのいい数字だと思ったあなた、 会ってお話ししませんか?」
は個人的に大好きなコピーで、一部のターゲットの心を深く掴んで話さない。

「ふつうの日、スーパー最高では?」も、すごく魅了されたコピーで、
CMの最後にそっと置かれて、余韻を規定していると思う。

 

 

もちろんこの分類はコピーに限らず、映像や体験にも当てはまるし、
クリエイターの「企画脳」の分類なので、コンテンツの消費傾向にも当てはまる。

始点派は、記事やミームなど、接触時間が短い表現が好きで、
終点派は、映画や小説など、接触が長い表現が好きになりがち。

得意なコンペにもクセが出やすく、
始点派は販促コンペやメトロアド、終点派はヤングカンヌや映像コンペが得意。

僕の経験上だと、同じタイプの人間ばかりだと視野が狭くなるし、
かといって、違うタイプを混ぜすぎると勢いがなくなるので、バランスも大事。

 

 

こんな仮説を、丸山くんと各地で発信したら、多くの反響があった。

コピーライターの三島邦彦さんからは、

「始点/終点をヘッドライン/タグラインと考えると、コピーライターの得意領域の分類としてとても応用が効くと思いました。そしていいコピーはグラフィックのヘッドラインとムービーのタグラインという2つの役割を1つで担う気がしてきました」
という核心をつくコメントをいただいて、さすがすぎた。

 

同期の尊敬するコピーライターとは、
「結局、熟達したクリエイターは、始点と終点、表現と構造、の両方を兼ね備えているから、XY軸にプロットすると徐々に中心に近づいていくのではないか?」
という説を話して面白かった。もしかしたら「中点派」がいるのかもしれない。

 

音楽家として世界で活躍する友人に聞いたら、

「じっくり体験してもらえるコンサートやアルバムを作るときは終点派で、SNSコンテンツのような視聴者が離脱しやすいものを作るときは始点派。メディアによって使い分けている」

と言ってくれた。キャリアの初期は、じっくり視聴してくれるファンがまだ少ないので、始点を優先する必要があるみたいだ。

 

Z軸を加えた新モデルを考えてくれた後輩のプランナーもいるらしく、

自分の知らないところで、仮説だけが独り歩きし始めているのは嬉しい。

 

 

個人的にはなんとなく、始点型の表現がウケやすい時代だと感じていて、
「アテンションエコノミー」とも合致しているのかな?と思う。

 

 

「なんかしっくりきません!」「分類なんてしている時点で二流でしょ?」
みたいな反論もたまにもらうけど、
そういう構造的な姿勢は大事だと思うので、感想や異議もお待ちしています。

ただ少なくとも自分の場合は、
目指すべき先輩像を考えてみたり、得意な打席を見極める指針にしたり、
わりと役立っているような気がするので、何かの参考になれば嬉しいです。

 

さぁ、始点派と終点派、あなたはどっち?

広告表現、入口から見るか?出口から見るか?


「広告クリエティブには、表現寄りの人と、構造寄りの人がいる」
自分が広告の世界に入る前からお世話になっている恩師、尾上永晃さんから聞いたことがある。

 

簡単に説明すると…
「構造」は言葉でシェアできる、広さ。PRとかSNSでの話題作りと相性が良い。
「表現」は実物でしかイメージができない、深さ。感情のコントロールに影響する。

 

映画を観て、どんでん返しや展開に興奮したら構造寄り、表情や音楽に興奮したら表現寄り。
「表現と構造 TCC」で検索すると、尾上さんご本人のコラムも読める。

 

この話を聞いて、自分はかなり構造寄りだな、と思ったけど、
表現を鍛えよう!と通ったコピー講座の飲み会で、
同じ「構造寄り」のプランナー・丸山優河くんと話していたら…

 

「僕らって2人ともかなり構造寄りだけど、好きな事例も、出すアイデアの趣向も、全然違いますよね?」という話になった。

 

そこから何時間も語り合って出てきたのが、「始点派」と「終点派」という新概念。

企画やコピーを、→(矢印)のように時間軸で捉えたときに、
その入口にときめくか?出口にときめくか?だ。

 

 

「始点派」は、まず見てもらうための「アテンション」を大事にして、
人を振り向かせることが最優先の人たち。

OOHや新聞広告など、短い時間で本能のスイッチを押して、
思わず注目してしまう・身体で覚えてしまう、
キャッチーな言葉やアイデアで惹きつけるシューティングスター。

一方で「終点派」は、見終わった後に長く残る「読後感」を大事にして、
新しい発見や習慣を浸透させるのが最優先の人たち。

 

MOVIEやラジオCM、プロダクトなど、時間をかけて心に訴えかけて、
言葉やアイデアと接する前後で、
ブランドや世界の印象を変えるゲームチェンジャー。

 

丸山くんは前者で、ぼくは後者。
同じ構造派でも、はっきりと分かれる別軸の発見だった。

 

 

例えば、コピーで両者の具体例を挙げていくと…

 「始点派」の代表例は、言葉遊びだと思う。
「Yonda?」「バザールでござーる」「ヘーホンホヘホハイ」など、
一度聞いたら、思わず口ずさんじゃうリズムがある言葉たち。

あるいは、「ちょうどこの高さ。」のようなビジュアル発想の表現や、
「もしも東京の真ん中に、山があったら。」のように、
その先が気になる見出し的な表現も始点派だと思う。

 

 

一方の「終点派」コピーには、読後感や発見をつくる表現が多い。

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。」
は、静かにみんなの共感を集めて、OB訪問にくる学生にもファンが多い。

「1024や65536を切りのいい数字だと思ったあなた、 会ってお話ししませんか?」
は個人的に大好きなコピーで、一部のターゲットの心を深く掴んで話さない。

「ふつうの日、スーパー最高では?」も、すごく魅了されたコピーで、
CMの最後にそっと置かれて、余韻を規定していると思う。

 

 

もちろんこの分類はコピーに限らず、映像や体験にも当てはまるし、
クリエイターの「企画脳」の分類なので、コンテンツの消費傾向にも当てはまる。

始点派は、記事やミームなど、接触時間が短い表現が好きで、
終点派は、映画や小説など、接触が長い表現が好きになりがち。

得意なコンペにもクセが出やすく、
始点派は販促コンペやメトロアド、終点派はヤングカンヌや映像コンペが得意。

僕の経験上だと、同じタイプの人間ばかりだと視野が狭くなるし、
かといって、違うタイプを混ぜすぎると勢いがなくなるので、バランスも大事。

 

 

こんな仮説を、丸山くんと各地で発信したら、多くの反響があった。

コピーライターの三島邦彦さんからは、

「始点/終点をヘッドライン/タグラインと考えると、コピーライターの得意領域の分類としてとても応用が効くと思いました。そしていいコピーはグラフィックのヘッドラインとムービーのタグラインという2つの役割を1つで担う気がしてきました」
という核心をつくコメントをいただいて、さすがすぎた。

 

同期の尊敬するコピーライターとは、
「結局、熟達したクリエイターは、始点と終点、表現と構造、の両方を兼ね備えているから、XY軸にプロットすると徐々に中心に近づいていくのではないか?」
という説を話して面白かった。もしかしたら「中点派」がいるのかもしれない。

 

音楽家として世界で活躍する友人に聞いたら、

「じっくり体験してもらえるコンサートやアルバムを作るときは終点派で、SNSコンテンツのような視聴者が離脱しやすいものを作るときは始点派。メディアによって使い分けている」

と言ってくれた。キャリアの初期は、じっくり視聴してくれるファンがまだ少ないので、始点を優先する必要があるみたいだ。

 

Z軸を加えた新モデルを考えてくれた後輩のプランナーもいるらしく、

自分の知らないところで、仮説だけが独り歩きし始めているのは嬉しい。

 

 

個人的にはなんとなく、始点型の表現がウケやすい時代だと感じていて、
「アテンションエコノミー」とも合致しているのかな?と思う。

 

 

「なんかしっくりきません!」「分類なんてしている時点で二流でしょ?」
みたいな反論もたまにもらうけど、
そういう構造的な姿勢は大事だと思うので、感想や異議もお待ちしています。

ただ少なくとも自分の場合は、
目指すべき先輩像を考えてみたり、得意な打席を見極める指針にしたり、
わりと役立っているような気がするので、何かの参考になれば嬉しいです。

 

さぁ、始点派と終点派、あなたはどっち?