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広告業界や広告、コミュニケーションについてJAAA 会員社の若手はどう感じているのか?
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後藤 花菜

後藤 花菜

CHOCOLATE Inc.
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Creative Div. Planning Unit

過去のFresh EYEコンテンツは下記から読むことができます。
2023年4月からはこちら過去のFresh EYEへ

キャラクターを広告する仕事、キャラクターで広告する仕事。 そのどちらにも、たくさん携わらせてもらうようになりました。 日々たくさんのキャラクターと向き合ううえで辿り着くのは、 私はやっぱり、完璧じゃないものづくりがしたい、という気持ちです。

キャラと、ひと。


キャラクターを広告する仕事、キャラクターで広告する仕事。
そのどちらにも、たくさん携わらせてもらうようになりました。
日々たくさんのキャラクターと向き合ううえで辿り着くのは、
私はやっぱり、完璧じゃないものづくりがしたい、という気持ちです。

「人間らしい」ということばを、私たちはよく使います。
つぶらで正直で、どうにも不器用。
おおよそ完璧じゃないその姿を、それでもたぶん、私たちは愛おしさの対象として見つめています。
あらゆることが効率よく出来てしまう世界で、速さと正しさにまみれた世界で、 私たちは日々自分らしさどころか、自分の「人間らしさ」さえ、なるべく見せないように生きている。
正直さや不器用さが許されづらい毎日だから、そうじゃないものを、本能的に求めているのかなあと思います。

キャラクターのお仕事をしている中でも、同じようなことに気付きます。
もはや人間が背負いきれなくなってしまった、人間らしさ。
私たちはいま、それをキャラクターに求めているんじゃないか。そんな、ちょっとさみしい仮説です。

無邪気でくだらなくて無駄だらけ。変わりもので怠けもので、失敗ばかり。
そんなキャラクターが愛されるのはもちろん、そのほうが愛おしいから。
正直で不器用な姿には「かわいそうでかわいい」「がんばれ」という声が集まり、 完璧じゃない姿には「実は私も同じ、だけどこれでいいんだよね」という気持ちが募る。
人間どうしではなかなか許し合えなくて、励まし合えなくて、
だからこそ、人間らしいキャラクターが愛されるのかもしれません。

でも、もし本当にそうだとしたら。
人間らしさが求められているのは、きっとキャラクターだけじゃない。
広告だって同じです。同じだといいなと、私は思っています。

分かりやすくて速い、洗練された広告もクールだけれど、 何だかちょっと覚束なくて、その代わり、とびきり愛着の湧く広告も許されたい。
ずっと心にとっておきたくなるような忘れられないものが、やっぱり、広告でも作れるといい。
そう願うとき、私は、この仕事を目指した頃の気持ちにかえることができます。

「完璧じゃないということが、ちゃんと完璧なもの」が、私は好きです。
数では計れない人間らしさがじっくり積み上がって出来あがるそういう作品だけが、 暮らしていくうえでの、本当に必要な勇気をくれるからです。

キャラもひとも広告も、真ん中にあるものは、きっとみんな同じ。
すべてのいきものが持つ機微への愛着を忘れずに、完璧じゃない、人間らしいものづくりをしていきたいです。

キャラと、ひと。


キャラクターを広告する仕事、キャラクターで広告する仕事。
そのどちらにも、たくさん携わらせてもらうようになりました。
日々たくさんのキャラクターと向き合ううえで辿り着くのは、
私はやっぱり、完璧じゃないものづくりがしたい、という気持ちです。

「人間らしい」ということばを、私たちはよく使います。
つぶらで正直で、どうにも不器用。
おおよそ完璧じゃないその姿を、それでもたぶん、私たちは愛おしさの対象として見つめています。
あらゆることが効率よく出来てしまう世界で、速さと正しさにまみれた世界で、 私たちは日々自分らしさどころか、自分の「人間らしさ」さえ、なるべく見せないように生きている。
正直さや不器用さが許されづらい毎日だから、そうじゃないものを、本能的に求めているのかなあと思います。

キャラクターのお仕事をしている中でも、同じようなことに気付きます。
もはや人間が背負いきれなくなってしまった、人間らしさ。
私たちはいま、それをキャラクターに求めているんじゃないか。そんな、ちょっとさみしい仮説です。

無邪気でくだらなくて無駄だらけ。変わりもので怠けもので、失敗ばかり。
そんなキャラクターが愛されるのはもちろん、そのほうが愛おしいから。
正直で不器用な姿には「かわいそうでかわいい」「がんばれ」という声が集まり、 完璧じゃない姿には「実は私も同じ、だけどこれでいいんだよね」という気持ちが募る。
人間どうしではなかなか許し合えなくて、励まし合えなくて、
だからこそ、人間らしいキャラクターが愛されるのかもしれません。

でも、もし本当にそうだとしたら。
人間らしさが求められているのは、きっとキャラクターだけじゃない。
広告だって同じです。同じだといいなと、私は思っています。

分かりやすくて速い、洗練された広告もクールだけれど、 何だかちょっと覚束なくて、その代わり、とびきり愛着の湧く広告も許されたい。
ずっと心にとっておきたくなるような忘れられないものが、やっぱり、広告でも作れるといい。
そう願うとき、私は、この仕事を目指した頃の気持ちにかえることができます。

「完璧じゃないということが、ちゃんと完璧なもの」が、私は好きです。
数では計れない人間らしさがじっくり積み上がって出来あがるそういう作品だけが、 暮らしていくうえでの、本当に必要な勇気をくれるからです。

キャラもひとも広告も、真ん中にあるものは、きっとみんな同じ。
すべてのいきものが持つ機微への愛着を忘れずに、完璧じゃない、人間らしいものづくりをしていきたいです。